幼少期に身についた「承認欲求」

私の両親はすでに他界しています。
小さい頃から、私がどんなに良い成績をとろうが、何かで表彰されようが、褒められたことは1度もありませんでした。
何をしようが「当たり前」、それどころか「自分はもっとすごかった」と言う自慢話をするような両親でした。
度々このブログでも書いていますが、つくづく性格がよろしくない両親です(;´∀`)
認めてもらえなかったから、私は「承認欲求が強い人格」になりました。
しかも、
他人が褒められたり、何かの功績を上げると「そんなの大したことじゃない」と認めない(認めたくない)平気なふりをする嫌な人でもありました。
結局、両親からされた事を、無意識に私も他人にしてしまっていたのです。
子供は、両親から受けた影響が「常識」になってしまいます。
どんな扱いを受けようが、心の奥では「親を信じている」し、
親から「認められたい」と思っています。
私も、両親が生きている時はそうでした。
どうしようもない親だとわかっていても、そうでした。
「良い意味で、過去も未来ももうどうでも良い」(*´ω`*)

瞑想ができるようになってまだ日は浅いですが、ずいぶんと生活が変わりました。
瞑想では、過去の自分の環境が思い出されて、両親に腹が立ったり、自分の未熟さを思い知ったり、それでも健気に頑張って来たんだと涙が流れたりします。
過去を悔むのではなくて、それを全て受け入れてそうやって学んでいくのが人生だと思うようになりました。
過去のダメな行動を今から改善していけばいい・・。
今、生きて、仕事もあって、豊かに生活が出来ている事がすでにありがたい。
今出来る事を静かにこなしていこう。
そうしたら、同じ環境なのに物事が良い流れに乗っているような感覚になる事が多くなりました。
「良い意味で、過去も未来ももうどうでも良い」(*´ω`*)
そんなある日の帰りの地下鉄の中でこんな出来事がありました。。
こんな形で、両親に感謝する日がくるとは・・・(;´∀`)

仕事帰りの地下鉄の中。
座席の端っこに座っている私の横で、2人の女性が立って話をしていました。結構大きな声で話しているので、内容が周りに筒抜けです😉
同じ会社ではあるものの、1人は出張で来ているらしく近況報告的な話し方をしています。
話しは、旦那さんの親の介護についてになりました。認知症や旦那さんの兄弟との関係性など、結構大変そうな内容です。(´・ω・)
そんな実体験からか、片方の女性からの「自分の子供にはこんな負担をかけたくないから、いろいろ考えちゃう」と言う発言。
そんなに大変なんだな・・・
それに比べて、兄弟の中で1人だけ独身の私も、本来なら親の介護問題に直面しているはずなんだけれども・・両親はすでに他界しているから・・
だから、こうやって自分の事だけ考えて生活ができているんだもんな~。
いろいろ恨めしい幼少期を過ごしたとは言え、そう言う意味ではうちの両親は子供孝行なのかもしれないな~なんて、
地下鉄の中で、両親に対しての嫌な感情がふっと和らいだ瞬間でした。😄
親に対してのわだかまりと、「許せる、許せない!」なんて長年心の中で葛藤していた私に、
他人の会話を私に聞かせて「許すように促された」感がぬぐいきれません。
何者かが、わざと私のすぐ横で耳打ちでもしてくれたかのように・・。
神様がいるとしたら・・なんかすいません。ありがとうございました。<(_ _)>
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