本当は自信がないのに、あるように見せかけているからきつい。
「私はできる人間だ!」と思っている。
何もない人に限って、根拠のない自信をもっている。
けど、本当は努力もしていなければ、思った通りの人生も歩めてない。
他人に当たり散らしたりするのは、その人に怒っているのではなくて、
実は自分に対しての怒りが爆発してるだけ様な気がする。
根拠のない自信は、努力してきた人の前では、秒で崩れ去ってしまう。
だけど、それを認めたくない。・・・私。
そう・・上記が、20代30代40代前半の私です。( ˘ω˘ )
私は、小さい頃からどんなに頑張っても褒めてもらったことがありません。
(他人から認められたいがゆえに、マウントとりに一生懸命な人間になってしまったのかな・・・。)
「自分はダメな人間なんです」の方が生きやすい(*´ω`*)
自分はダメな人間だ。
こんな考えは自己肯定感を下げていると思っていました。
だから、一生懸命、自分だけは自分の事をそう思わないようにしようと思って生きてきました。
それが、50歳を目前に、急に「あ、違う」と思い始めました。
私は私を知らなさ過ぎた。
なんとなくわかってはいたけど・・今の私には何もない・・( ̄▽ ̄)
「私は出来る人間だ!」から「出来ていませんでした」に急にシフトチェンジしたら
なんだか楽になりました。
(😄もともと出来ていないんだから。無理しないでいい😄)
身も心も軽くなったら、急に何かがしたくなり・・。
中途半端にしていることを出来るところまでやってみよう!と思い始めました。
例えば・・
「一見、私は語学が堪能である。英語においては、会社からは一応上級者という評価をいただいている。
かと言ってそれを強みにして仕事するほどの実力は持ち合わせていない。
20代前半に、カナダに滞在した経験から、人より聞き取りができる程度なのだ。
そんな細い糸だけで今日まで来た感じ。自信は全くない。」
そして、そんな気持ちから、
何か一つ確信が持てることをしようと挑戦したのが、韓国語の検定でした。
そこが、転機の始まりでした。
私の人生48歳まで下積み。空間があって50歳から確実に自分の人生になってきた。
実際のところ、語学習得に近道はありません。(*´Д`)
一見遠回りと思える、古典的な日々コツコツの勉強が一番近道でした。
そんな、人からは見えない日々のコツコツが結構大きな結果を率いて自分に返ってきます。
努力に基づいた結果は、ただただ自信につながります。
それは、今後何があっても崩れない事実なのです。
だから、これから先、自信を失うことはありません。
この小さな自信を繰り返すことで、ゆるぎない自信が形成されます。
失敗したことが走馬灯のように頭に流れ、
「ああ、私・・なんて恥ずかしいことを言っていたんだろう」という日が来ます。
というか、49歳はそんな恥ずかしさと懺悔の気持ちがあふれて、自分の中でいろんな変化が起きた1年でした。
その「気づき」が来てくれて良かった。・・(*´ω`*)
口に・・
ヨーグルトが付いているのに
気づいて・・_(:3 」∠)_
追伸
韓国語検定は、以前にも書きましたが、「ハングル能力検定3級」に合格しました。
独学者には、結構難しかった(>_<)
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