愛されたいんじゃなくて・・・

失恋して喪失感に陥っている今日この頃。
ふと、この喪失感の原因についてある考えが湧いてきました。
彼が去った、彼から愛されていなかった‥と言う彼を失ったショックよりも、
私が愛情を注げる対象物がいなくなったという・・
推しがいなくなって楽しみがなくなった喪失感なのかもしれません。
推し活のように、私が彼に尽くしていたかと言うとそうでもありませんが‥。(;´∀`)
私は昔から「100%愛情を注いだとして、もしうらぎられたら‥」と言う不安がよぎるので、いつもいつも自分を出さずにセーブしてしまう恋愛下手です。
「愛されるよりも愛したい」と思ったことなかったけれども・・。
私は、ずーっと誰かに愛されたいんだとばかり思っていましたが、
無条件に何の不安もなく愛情を注ぐことが出来る相手が欲しいんだと気づきました。
振り返ってみると、私はなんの不安もなく100%愛情を注げれるような男性に出会ったことがありません。
私が愛情を注がないから、相手からも100%に近い愛情を受け取った実感もありません。
注いでくれた人が居たのかもしれないけれど、当時の私はその相手をどこか冷めた目で見ていた記憶があります。
だから、そんな私から男性が離れていくのは時間の問題だったのだと思います。
いくつになってもいい。自分を変えるのはいつでもOK
私が変わらないと、周りの環境も変わりません。
ただ、いまだに、今の私にはその改善方法がわかりません。
言葉ではわかっていても、実際どうしたらいいのかがわからないのです。
恋愛には年齢制限がないので、諦めずにパートナー探しの旅は続く・・・です。(>_<)
最近、90歳で結婚したカップルの話題(海外)をネットのニュースで見ました。
日本では少ない話題ですが、私にとっては励みになるニュースです。
私は、60代半ばまで生きていればいいなぁ~と言うくらい身体に疾患がありますが、
一生に一回は、そんな相手に巡り会いたいなとひそかに思っています。(*´ω`)
追記:このブログを書いて1年後のコメント
時々1年前の私はどんな事をしていたんだろうと過去のブログを読み返しています。
この時書いた「失恋した彼」とは、その後いろいろあって今でも続いています。(*´Д`)
(そのお話は、ちょこちょこブログに登場します)
相変わらす会う時間は少ないけれども、だんだんと心の不安がなくなり落ち着いた関係に変化しました。
この記事からの1年後の私は、こう考えています。
「こうしたら相手がこう思ってくれるかな。こういう事を言ったら気に入られるかな。」
なんてどうでもいい。
「自分が相手をどう思って、どうしたいか」だけ。
どうすればいいのかわからなかったら、「自分がされたらうれしい事をすればいい」
それを相手がどう思うかは相手ことだから、私が考える事ではないのです。
そして、言葉1つを気にするくらいの相手なら、いらない。
気を使えば使うほど自分はきついし、相手は離れていく。
だから、な~んにも気を使わず、思った通りの事を言って、去るなら去れば?くらいでいい。
そんな気持ちになったら、なんとなく、相手が逆に寄って来てくれてる感じがします(*´ω`)
それが、このブログを書いた1年後の「過去の私へのコメントです」
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