「何を食べるかより誰と食べるか」が重要と思っていたちょっと前の私
この考えには、とても自信があっていろんな人に豪語しておりました。
なぜ自信があったかと言うと・・自分の体験談だったからです。
以前お付き合いをした男性の中で、一番影響された、一番長く続いた男性が1人おります。
彼はかなり頭の切れる人で、サラリーマンを経て、コンサルティング会社を経営しているかなりのリッチマンでした。
行くお店、行く場所、すべてにおいて気後れするような素晴らしいお店ばかりでした。
今の私だったら素直にうれしかったかもしれない場所でも、
その当時の私には、それを楽しむより、その場になじむように背伸びしていたなと感じます。
かなり良いお値段のお店に連れて行ってもらっていたのに、
その価値に伴わない当時の私は、そのお食事の内容よりも
自分が思い通りに生きていない不満をぶつけたり、わがままをわかってもらおうとばかりして、
味を楽しむことすらしていませんでした。
すべて彼が支払うのは当たり前、感謝すらしていませんでした。
時には、お食事中に相手に不満をぶつけて、泣いたりしたこともあります。
なので、せっかく良い物を食べても楽しい思い出が一つもありません。
その体験談からの、「何を食べるかより誰と食べるか」という発言に結びつきます。
「美味しいものをきちんとじっくりと味わいたい」今の私
精神的に落ち着いて、なんやかんやをそぎ落し、1人で行動することを覚えた現在。
自分を幸せにしようと思ったら、美味しい食べ物は外せません。
そして、美味しいものを食べに行くことが、行動の原動力になっていたりします。
50歳を超えてから、人に合わせず、自分が食べたいものを楽しむ事が幸せな事に気づきました。
ぶっちゃけ、そこには「誰か」は必要ありません。
1人で行動できるようになると、逆に「誰か」か邪魔になります。
1人で、食べたいものと向き合って、かみしめて「あぁ~おいしい~」と思いたいです。
その次は「あ~美味しい~」を他の人と分かち合えたら最高♡ですね
そんな、小さな「1人美味しい」をたくさん持っていたら、
なんだか楽しくて、なんとなくそれが周りに伝わります。
聞かれたら答えるを繰り返していると・・
それを知った周りの人も「へえ~」となって実際に行ってみたりします。
結果、なんだか楽しい人の周りには、なんだか楽しい好きの人が寄ってきて、
なんとな~く、なんだか楽しい関係が出来上がります。
そんな、たわいない、なんとなく楽しいを「幸せ」と言います。
毎日は、繰り返しと言うけれど、繰り返しではありません。
仕事しようが、引きこもっていようが、昨日とは違います。
一日中部屋にいたとしても、昨日考えた事と全く同じ事を考えたかと言えばそうではありません。
人間は、身体を動かさなくても、頭と心だけで変化できる生き物です。
頭と心だけで、気分が良くなったり悪くなったり・・ほんと厄介な生物です。
厄介だけど、ほんの少しの事で気分が変わる単純な生き物でもあります。
だから、今の感情だけですべてを決めてしまうのは、間違いという事を知っておくのも大事です。
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