「何を食べるかより誰と食べるか」が重要と思っていたちょっと前の私
「何を食べるかより誰と食べるかが大事」
過去にお付き合いをした男性の影響で、50代に入るまでずっとそう思っていました。
30代初めに知り合ったその男性は、かなり頭の切れる人で、サラリーマンを経てコンサルティング会社を経営しているかなりのリッチマンでした。
仕事柄知り合いも多く、行くお店、行く場所、すべてにおいて気後れするような素晴らしい所ばかりでした。
今の私だったら、素直にうれしい限りですが。(*´ω`*)
その当時の私は、それを楽しむより、その場になじむように必死に背伸びをしていました。
小さい頃から培った「平気なふり」を、彼氏にさえもしてしまう可愛くない女性です。
かなり良いお値段のお店に連れて行ってもらっていたのに、
その価値に伴う中身を持ち合わせていない当時の私は、そのお食事の内容を楽しむどころか、
値段が高ければ高いほど、心に不満がたまる一方だった気がします。
その当時の私は、自分が一体何をしたいのかがわからず迷走の真っただ中でした。
仕事が続かず、生活も安定していませんでした。
そうだからか、無意識にその環境との格差に嫌悪感を抱いていたのも事実、
彼との価値観の違いに違和感を覚えていたのも事実、
たった1食にすごい金額を支払うくらいなら、私をもっと助けてくれてもいいのに・・
実際には言えないけれども、こんな不満も抱えていたと思います。
そして、彼が話す内容は、経営者らしいスケールの大きなお話ばかりでした。
味よりも自分のダメさをどんどん思い知らされる時間だったのかな・・。
すべて彼が支払うのは当たり前で、感謝すらしていませんでした。
時には、食事中に相手に不満をぶつけて、泣いたりしたこともあります。
なので、せっかく良い物を食べても、味を覚えてもいませんし、楽しい思い出が一つもありません。
その体験談からの、「何を食べるかより誰と食べるか」が大事だと切実に思っていました。。
「美味しいものをきちんとじっくりと味わいたい」今の私
精神的に落ち着いて、なんやかんやをそぎ落し、1人で行動することを覚えた現在。
自分を幸せにしようと思ったら、美味しい食べ物は外せません。
美味しいものを食べに行くことが、行動の原動力になっていたりします。
50歳を超えてから、他人に合わせてばかりを辞め、自分が食べたいものを素直に言えて、
それを楽しむ事が自分に対する優しさと気づきました。
人から言わせればそんなの当たり前でしょうけれども、
私は、経済的に恵まれていない家庭環境で育ったので、自分が食べたい物を言わないクセがついていました。1番食べたい物を言ってはいけない、値段が高いものを選んではいけないという風に・・。
だから、とっても遅いスタートではあるけれども、50代に入ってやっと自分が1番食べたい物を値段を気にせずオーダーできる人になったのです😄
それがとっても幸せで、ぶっちゃけそこには「誰か」は必要ありません。
1人で行動できるようになると、逆に「誰か」か邪魔になります。
1人で、食べたいものと向き合って、かみしめて「あぁ~おいしい~」と思うのが至福となりました。
その次は「あ~美味しい~」を他の人と分かち合えたら最高♡ですね
そんな、小さな「1人美味しい」をたくさん持っていたら、
なんだか楽しくて、なんとなくそれが周りに伝わります。
「なんか美味しいお店とかたくさん知ってますよね?」
なんて聞かれると、行って良かったお店のお話をしてしまいます。
それを知った周りの人も「へえ~」となって実際に行ってみたりしてくれます。
行った感想や、別の新店の話題などを交換したりして・・
結果、なんだか楽しい人の周りには、なんだか楽しい好きの人が寄ってきて、
なんとな~く、なんだか楽しい関係が出来上がります。
そんな、たわいない、なんとなく楽しいを「幸せというのかな」なんて思ったりしています。
毎日は、繰り返しと言うけれど、同じ繰り返しではありません。
仕事しようが、引きこもっていようが、昨日とは違います。
一日中部屋にいたとしても、昨日考えた事と全く同じ事を考えたかと言えばそうではありません。
人間は、身体を動かさなくても、頭と心だけで変化できる生き物です。
頭と心だけで、気分が良くなったり悪くなったり・・ほんと厄介な生物です。
厄介だけど、ほんの少しの事で気分が変わる単純な生き物でもあります。
だから、今の感情だけですべてを決めてしまうのは、間違いという事を知っておくのも大事です。
私みたいに、年齢と共に全く別の考えになったりするのですから(*´ω`*)
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