「本当の自己肯定感」が得られた時のこと

夜の独り言
ゆっくりしよう

本当は自信がないのに、あるように見せかけているからきつい。

「私はできる人間だ!」と思っていた過去の私のお話。

「強がり」と「無知」と「世間知らず」が相まった、痛々しい過去の私です。

実力がない上に、努力をせずに格好だけの自信ですから、

思った通りの人生が歩めるわけがありません。

その時期の私は、非常にきつい性格でした。

他人に当たり散らしたりするのは、その人に怒っているのではなくて、

実は自分に対しての怒りが爆発していたんだなって、、今は理解が出来ます。

でも、その当時の私は、足を止めて自分を見つめ直す事さえせずに、

他人のせいにしては逃げ、他人を攻撃しては逃げ、の悪循環を繰り返していました。

私は出来るし、頑張っているのに、なんで周りは認めてくれないんだ!と。

今ならわかる、「絶対に避けたい人」まっしぐらな性格でした。(^-^;

親だって人間。間違える事もある・が・・・。( ˘ω˘ )

私は、小さい頃から両親に褒められた記憶がありません。

成績は悪くはありませんでした。

小中高と、美術系では賞を取る常連でもありました。

両親はそんな私の作品を見て、悪い所を見つけて指摘するのが良い事だとばかりに「ここをこうすればもっと良かった」というのが通例でした。

頑張っても評価されないなんともいえない孤独感。それでも子供にとって家族は、疑う事もしない絶対的な存在ですから、平気なふりをして何とか認められたいと頑張っていたと思います。

そういえば、今は疎遠にしている姉も、母と同じような考え方だなって思います。

例にもれず、私も、何でもかんでも批判から入るという考え方が当たり前だったなって思います。

他人を批判しつつ、

「私は出来る人間だ!自分はダメな人間だなんて自己肯定感を下げちゃダメだ」

と勝手に何かと戦っていました。(>_<)

「自分はダメな人間なんです」の方が生きやすい(*´ω`*)

いろんなことを経て50歳を目前にした頃、

それまでの「強がりや粋がっていた心の壁」がポロポロとはがれはじめました。

私は他人ばかり見て、自分がどんな人間かを見ていなかった・・。

というか、

なんとなくわかってはいたけど、認めたくなかった事をやっと認められる日が来たのかもしれません。

「私って口先ばっかりで、努力して得た実力がな~んにもない・・・」

ホント・・今の私には何もないわ・・( ̄▽ ̄)

急にそう認めようという気が湧いてきて、

「私は出来る人間だ!」から「出来ていませんでした」にシフトチェンジしました。

そしたら、なんだか心のくもりが、スーッと晴れた気分になりました。

😄もともと出来ていないんだから。無理しないでいいのよ~😄

身も心も軽くなったら、急に何かがしたくなり・・。

中途半端にしていることを出来るところまでやってみよう!と思い始めます。

例えば・・語学。

ゼロからまた勉強し直してみようかな。

そこが、転機の始まりでした。

小さく始めたら、大きくなってきた

実際のところ、語学習得に近道はありません。(*´Д`)

一見遠回りと思える、古典的な日々コツコツの勉強が一番近道でした。

そんな、人からは見えない日々のコツコツが結構大きな結果を率いて自分に返ってきます。

韓国語の勉強を独学で始めて1年半が経った頃から、仕事での実践が出来るレベルになりました。

努力に基づいた結果は、ただただ自信につながります。

それは、今後何があっても崩れない事実なのです。

自分で努力したという実感がある分、自信を失うことはありません。

この小さな自信を繰り返すことで、ゆるぎない自信が形成されます。

努力もせずに口先だけで人を負かそうとしていたじぶんが走馬灯のように頭に流れます・

「ああ、私・・なんて恥ずかしいことを言っていたんだろう」と。

49歳はそんな恥ずかしさと懺悔の気持ちがあふれて、自分の中でいろんな変化が起きた1年でした。

その「気づき」が来てくれて良かった。・・(*´ω`*)

在りし日の愛猫・ヨーグルトをすこーしペロペロするのが好きでした(*´ω`*)

コツコツお勉強をする習慣がついたおかげで、語学検定は着実に合格しています。

1つ受かれば、また次のランクへ。

今では、自分だけの楽しみとなっています。

期限がないから、これから一生お勉強は続きます。(*´ω`*)

そして

それがまた「自己肯定感」を上げてくれるのです。

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