発症は28歳
最近雨の日が続いています。
お休みの今日は、朝から大雨と雷。
ゆっくりめの朝ごはんは、半年ぶりにインスタントラーメンを食べることにしました。めったに食べないから、特別感に浸れます。とんこつ味は安定の美味しさです(*´ω`*)
今日は家でゆっくりと過ごしましょう。
ブログを始めて、自分を観察することが出来るようになりました。私のブログのタイトルをみて、「なんで発症したんだろう?」「なんで50歳超えてから急に好転してきたんだろう?」と今まで真剣に考えてもいなかったことが頭に浮かびました。
私が7歳の時に、母がくも膜下出血で半身不随になりました。
家族の中で唯一、私だけがその瞬間にいました。たまたま、いつも良くしてくれていた隣のおばあちゃんがうちに来て母と雑談している時だったので、そのおばあちゃんが救急車を呼んでくれました。
私は、無言でその一部始終を見ているだけだった記憶しかありません。
それから20年経ったある日、母がまた倒れました。連絡を受けて実家に帰ります。病院で、意識はあるけれど身体が全く動かない状態の母を見ます。眼だけが私になにかを訴えかけてきます。
父や兄姉と数日過ごし一旦解散します。
その帰路でパニック障害を発症します。
その時私は、姉の車に乗っていました。高速道路を走っている途中で、いきなり頭に岩が落ちてきたような衝撃が走ったのを覚えています。そして、急に鳥肌が立ち、吸っても吸っても空気が入って来ない感覚に陥ります。
そして、恐怖心にも似たようなどこかに逃げたい衝動が沸き起こってきます。それは到底自分では制御できない何かでした。車の中という狭い所から一刻も早く出たい衝動にかられます。
高速道路では急に路肩に停める事は出来ず、サービスエリアごとに停まってもらったものの、走っている間はずっと後部座席の床に座り込んでシートに顔を伏せて何とかしのぎました。
私はいつもみんなの顔色をみて育ってきた。
子供はみんなそうですが、親から良い子と思われたいです。
それが、どんな親であろうがそうなってしまいます。
今わかることは、うちの親は人間的にあまり良い方ではなかったという事です。
ただ、末っ子の私にはそれはわかりません。
母が倒れた直後の、父と兄姉たちの会話を聞いていた私。
父を愛して頼りにしていた世間知らずの母。
ダメな父でも・・それでも母が好きな人は父だから、私は父から好かれたかったのかもしれません。
そんな気持ちは成就される事はありませんでした。
金銭的に苦しい上に、平気でウソをつく父親でした。
他人から大事にされないと、無意識に自分でも自分を大切にしない人間に育ってしまいます。
他人からの評価を気にするくせに、何があっても平気なふりをして強がる私が出来上がりました。
自信と実力がない私が何をするかと言うと、
過剰に他人を攻撃したり、口先だけでマウントをとろうとしたり、足を引っ張ったりしようとします。
私は平気、私は物わかりが良い、私は人より出来る、私は人より・・と
常に周りと自分を比べて、何もされていないのに敵視する癖がつきました。
完全に、劣等感の裏返しです。
ずっと何かにもがいていた、切ない思い出です。
回復するには、発症前に心にため込んだ時間と同じ時間が必要?
外は雨なので、絵を描いたりしてまったり過ごしています。夕方からビールを開けてます。アルコール少なめのスッキリした感じがこの時間にはピッタリです。(・´з`・)
絵を描き、乾かす時間にビールを飲んで、ゆっくり自分の事を考えてみる時間。
パニック障害が発症したのは、きっかけはどうであれ、お幼いころからの心の病があったのだと気づきました。今思えば母親も心身症を患い気味だったような気がします。多少の遺伝もあると思います。(そんな母と同じ環境に居るというデメリットもありますしね)
発症当初は、自分で自分を制御できずに「私は自殺してしまうんじゃなかろうか?」と言うひどい時期もありました。そんな事を乗り越えつつ、なんとか周りにはバレないように生活をしてきました。
ただ、乗り物恐怖や、じっと座っていなくてなならない場所の恐怖(セミナーや美容室、人がたくさんいるコンサート会場や野球観戦など)は治りません。
ずっと、ごまかして避けて生活してきました。そして、私は、この病気から逃れられずに一生を終わると思っていました。
それが、去年から急に「挑戦してみよう」と言う気になり今に至ります。52才での転機。
「物心ついてから発症までのストレスを抱えて生きてきた時間」=約20年余り
「発症から回復の光が見えるまでの時間」=約20年余り
同じ時間だなぁ~って、なんかそんなたわいもない事を考えながらビール飲んでます。(*´ω`)
大切にせずに扱ってきた私の身体が、「そろそろ許す」って言ってくれてるのかなぁ~。
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