「誰かに何とかしてもらおう」「私をわかってください」をやめる。
歳を重ねれば重ねるほど、勘違いしていた事実が見えてきました。
それは、年をとったからと言って、
一概に「視野が広くなり、他人の事が良く理解できるようになる」
という訳ではないという事実です。
だから、親だから私を理解してくれている、先生はすべてを見てくれている、
上司は私を見てくれている、パートナーだから私をわかってくれている、
なんて私の勝手な妄想だったって事です。
分かってくれたり、理解してくれたり、見ていてくれたりは、当り前ではないのです。
若かろうが、年を重ねようが、人はいつまで経っても自分が主人公であり、
他人が、日々何を考え、どうしたいかなんて、他人事です。😄
知識が増えようが、経験を積もうが、
何も言わないでも他人の事がわかる人はそうそういません。(*´ω`)
結局、印象を残した人、アピールした人勝ちなんです。
だから、ひとりりよがりの「誰も私をわかってくれない」や「言わなくても察するのが当たり前でしょ」は、ただ事をこじらせたい迷惑な人になってしまいます。
頑張っているのに認められない人は、ベタな方法でアピールすべし。
例えば、職場での話。
上司や上層部がきちんと見ている職場であればいいのですが、
私が今までお世話になった会社のほとんどの長が、
結果は見るけれど、誰がどのような働き方をしたかまで細かく把握していない場合が多かったという事実ががあります。
上司も自分の事を必死でやっていますから、結構、耳に入ってきた事しか頭に入っていません。
仕事はいまいちだけど、口は達者な人が「自分がやったアピール」をしていると
人は簡単にそれに左右されるんだな~ってちょっと不満に思った事もあります。
自分に正直に、日々出来る事を真面目にコツコツやっていると、
アピールしなくても自然に良い事が流れ込んでくるという事は、身に染みて感じていますが、
それでも、やはり言う時ははっきり言っておく必要性は感じます。
人間はちょっとだけ進化しただけのただの動物の一種ですから、言わないとわかりません。
ちなみに、それは恋愛も同じ(*´Д`)
「言わなくても分かるだろ」はわかりませんし、
「言わなくても分かるだろ」を態度だけで示したら、さらにややこしくなるだけでです。
歳を重ねれば重ねるほど、他人の事は「知ったこっちゃない」
52歳の私が、確実に一つ言えることは
歳を重ねれば重ねるほど、他人の事は「知ったこっちゃない」になってきます。
これは、他人に無関心になるという事ではなくて、
逆に他人に任せられるという気持ちになるからです。
いい意味で、どうでもいい出来事や、他人の言動に対して干渉しなくなりました。
自分の自信のなさ、自分を信じていないと言う潜在意識が強い時期の私は、
それと同じように他人を信じてはいなかったのだと気づきました。
自分を見るようになって、大事にするようになったら、
それに比例するかのように、いつの間にか他人への批判を止め、自然と任せるようになっていました。
50才を過ぎてやっとです。(*´ω`*)
「知ったこっちゃない」を良い方向へと使う
今の職場で、私ができる事・・・それは
自分だけがやりやすいではなくて、
みんなが伸び伸びとやりやすい環境になっているか否かを出来るだけ察知することです。
それぞれに任せつつ、
皆が不便に思っていることで、私も同感することがあれば、
改善に向けて、私が声をあげたいといつも思っています。
会社に所属していると、それぞれの立場からなかなか言えない事が多いと思います。
会社や職場全体を見れば、「日々改善することが仕事をする」という事だと思っています。
作業だけでなく、小さな不便を心地良いに変える工夫を考えることが、ゆくゆくはお金を払っていただくお客様への反映につながっているんじゃないかと感じます。
私は、今の会社に人一倍愛情はあるけれど、執着はありません。
いらないと言われたら、去るだけの人です( ˘ω˘ )
せめて50代からは、自分に正直にやっていきたいと思います。
気になることがあれば、受け流さずにひっかけてみたいと思います。
結果が出ようが出まいが、やってみることが大事なんだと
最近つくづく思います。
自分を甘やかしながら、
まだまだ、日々一生懸命仕事しましょう!
老けないために・・(*´ω`*)
今年もモンブランの季節がやってきました♡

毎年、「この季節には、なんとしても絶対にモンブランを食べたい!」と言う友人がいます。
今年も、その季節が来ましたね
今年はどこのにしましょうか?
(*´ω`*)

フォートナム&メイソンの方は、中にメレンゲが入っている品格的な風味の(本格的なものを知らないけれども😄)お味で、私は好きです。コーヒーを飲みながらが格別に美味しいです。逆にコーヒーが美味しく感じられるケーキです。
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