50代女性はキャラクターが出来上がっている

- ああすれば痩せるやらしい
- あの化粧品は良いらしい
- あれを飲めば肌にいいらしい
テレビやネットで得た知識は豊富だけれど、実際やらないのが面白いところです。
できない理由を並べる事には、どんどん長けていきます(^^)
表面だけで何とかしようとすると、50代にもかかわらず
「20代だから可愛らしく見える形のお洋服を着て若い自分をアピールしてしまう勘違い」や
「肌の状態を無視したプチプラ化粧品を愛用している痛い女性」
が出来あがってしまう恐れもあります。
「実際に見えてるものが見えず、脳で作り上げた幻を見ている」
人間は、生きる事に意味を持とうとしたがります
わたしは、42才で大病を患い「もしかしたらもうすぐ死ぬかもね」という体験をしました。
それから、なんとなく
「人間も地球上のただの生物にしか過ぎなくて、他の動物と同じで、産まれたから生きているだけ。一定の時間が過ぎれば死ぬだけだよね」
と非常にシンプルな考え方を持つようになりました。
ただ、人生何十年と生きるために、個人的に意味を持たないと生きていけないという事情もわかりますので、意味を持つ事にあえて否定はしません。
だからこそ
外見だけ気にして、中身を成長させないまま年を重ねると大変な事になります。
モデルさんと似たような服を着て、似たようなメイクをして、似たような靴を履いていれば自分がこう見えてるはずという姿を思えば思うほど、脳がそう判断して、自分はそうだという錯覚に陥ります。
目の濁り、肌のくすみ、髪のパサつき、ひじの黒さ、ひざのたれ具合・・(;’∀’)・・・。
鏡に映った自分の姿を見ているんですが、見えてないんですね(;’∀’)。・・・。
そしてその微妙な違いが大きな違いになっていることに気づきもしないんです・・・。
大音量の中なのに、考え事をしていると全く耳に入ってこないのと同じ感覚です(>_<)
自分でつくる「裸の王様」状態です
わたしにはそんな時代がありました。思い返しても恥ずかしいです。(;’∀’)
そんなこんなを経験しつつ・・・
過去は消せないけど、気づいたときに変えればいいのです。むしろ気づいた自分を褒めます😄
意外と多い「うで毛・あし毛・ボーボー」な中年女性
コロナ禍の転職に伴い、同年代の女性との新たな出会いがありました。
そんな中、結構な具合で体毛処理をしていない女性が多いなって思いました。
老眼で見えないのかもしれませんが・・(*‘∀‘)
- 眉毛ナチュラル(悪くいえば、ぼーぼー)
- 顔の産毛がうっすら(ひげ有)
- うで毛、すね毛(ぼーぼー)
気にする必要がないのか、見えていないのか・・・。
結婚している女性でさえそうなので、パートナーは何も思わないのかが不思議です。
私は、元々、毛が濃い家系ではありますが、
40代前半に「家庭用脱毛器」を購入して以来、おかげ様でシェービング生活からの脱出を成功させていただきました。
これについては、別の記事に書いています。
自分の体毛は放置しているのに、他人にはきびしい(;’∀’)
腕まくりをした時に、目をひくくらいの腕毛があったり、
「日に焼けたかなー」と言いながらズボンのすそをちょっとめくった時に足首の上あたりから結構な具合で毛が見えている女性がいました。
彼女達には見えていないのでしょうか?( ゚Д゚)
いつも見ているとそれが当たり前になっちゃうのかな?
たまたまですが、そんな彼女達には共通点があります。
それは、「とっても他人に厳しい」のです。
会えば常に誰かの落ち度や、不満を口にして、何かしらいつも怒っているのです。
少々の愚痴ならいいのですが、会話の全部がそれだと
「他人を気にするより、自分のムダ毛を気にしろ」
と、心の中で突っ込んでいる私がいます。
海外では、毛の処理をする必要がないとされる文化も多いですが、
私が育った環境は「毛の処理をするのが当たり前」の時代ですので、やっぱり気になります。
が、しかし
そんな事を気にしている私こそが、
「自分が毛の処理をしているならいいじゃない。他人の毛の処理まで心配するな!」
ですね😄・・ハイ すいません。
ご褒美おやつ ソルビンで頭を冷やす♡

最近、36℃を超える毎日。
大名にある「ソルビンカフェ」のきな粉餅は、定期的に食べたくなります。
平日のお昼は、比較的人が少なくゆっくり味わうことができます。毎回一口目で「あ~美味しい」ととろけます。
1か月に一度の自分へのご褒美♡こんなに幸せな気分になれるなら、とってもリーズナブルです。
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